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作/グッズ制作:神蔵香芳
企画:アトリエミルテ

バナヤンへ、うさぎより

うさぎだより−2

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 こんにちは。おげんきですか。このあいだの手紙をうけとったとき、わたしはいろいろなことが忙しくて泣きたい気持ちだったので(泣きたいくらい辛いという意味ではなく、手放しで泣けたらすごく快復しそうなんだけど泣くだけのちからがないという状態です)すごくうれしかったです。気持ちがやわらかくなって、忙しさにポッキリ折れてしまわずになんとかのりきれました。ところで、わたしも左利きです。でも、見よう見真似で覚える作業などは右を使うことも多く、たいていのことは両方で出来ます。例外ははさみと包丁です。このふたつは左でないと駄目です。どうして右と左があるんだろう。もしタコとかくらげみたいに限りなく方向があったらどうなってしまうんだろう。あるいはどうならなくなってしまうんだろう。体の中心という感覚にすごく関係がありそう。それはきっと東西南北にも関係があるような気がする。やっぱりとりあえず方向音痴を改善したい。


このあいだ散歩の途中で、駆けおりるのにちょうどいい坂をみつけました。それは家からすこし離れたところにあります。かなり急で、100Mくらい続いていて、まっすぐで、静かで、坂の上に立つと目の前にたくさんの空気があって、てっぺんいはとても大きな桜の木が門みたいに2本茂っています。春になったらすごいだろうな。桜の落ち葉は桜餅のにおい。清潔でやさしいにおい。そのうえおいしそう。
坂を駆けおりていると、スピードがついて、歩幅がずんずん大きくなって、夢の中で飛べちゃった時みたいに浮力がついて、笑いたくなって、気分がほかほかしてきます。内側から自然に「わたし」っていうものが湧いてきて、ああそうなんだ、わたしはいつでもわたしなんだ、と自身満々に一歩一歩地面をけっている。あっという間に過ぎていく短い時間なのに、それは、通りすぎるだけのはかないものではない、不動の実感です。
坂を駆けおりるのが好きなのは、坂の上の家で育ったからかもしれません。駆けおりていると、自分がただ自分であるだけで満ち足りていたころの時間に再会するのかもしれません。
誰かが見ていたら、用もなく駆けおりてきて、そしてまた登っていって、何をしているんだろう、あやしい人だ、と思うでしょうね。でもいいんです。それは、誰かの目がみた「わたし」だもの、どううつるかは"誰か"にまかせておけばいい。
わたしは坂を駆けおりる。風みたいに。堂々と。また登っていくのはけっこうたいへんだけど。

うさぎからの贈り物「うさぎノート」

バナヤンの返事 2


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