かわいいフォトブックをどうもありがとう。ちいさな「ともだち」を注意深くちょっとずつ動かしながら写真を撮っている時間を想像して、ほんとうにほのぼのとしてすてきだなと思いました。かわいいものやちいさいものは役に立たないことで役に立っていて生活に欠かせられたいものですね。ミニうさぎもしあわせそうです。
このあいだ散歩の途中で、駆けおりるのにちょうどいい坂をみつけました。それは家からすこし離れたところにあります。かなり急で、100Mくらい続いていて、まっすぐで、静かで、坂の上に立つと目の前にたくさんの空気があって、てっぺんいはとても大きな桜の木が門みたいに2本茂っています。春になったらすごいだろうな。桜の落ち葉は桜餅のにおい。清潔でやさしいにおい。そのうえおいしそう。
坂を駆けおりていると、スピードがついて、歩幅がずんずん大きくなって、夢の中で飛べちゃった時みたいに浮力がついて、笑いたくなって、気分がほかほかしてきます。内側から自然に「わたし」っていうものが湧いてきて、ああそうなんだ、わたしはいつでもわたしなんだ、と自身満々に一歩一歩地面をけっている。あっという間に過ぎていく短い時間なのに、それは、通りすぎるだけのはかないものではない、不動の実感です。
坂を駆けおりるのが好きなのは、坂の上の家で育ったからかもしれません。駆けおりていると、自分がただ自分であるだけで満ち足りていたころの時間に再会するのかもしれません。
誰かが見ていたら、用もなく駆けおりてきて、そしてまた登っていって、何をしているんだろう、あやしい人だ、と思うでしょうね。でもいいんです。それは、誰かの目がみた「わたし」だもの、どううつるかは"誰か"にまかせておけばいい。
わたしは坂を駆けおりる。風みたいに。堂々と。また登っていくのはけっこうたいへんだけど。