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P=ピアソラ
いつごろからかタンゴが好きになり、タンゴなしには音楽生活が成り立たない感じになっている。といってもたいした知識はないし、マニアではないので、たまたま出会ったものを聴き「いいなあ」と思ったり「うーん、もうひとつ」と思ったりしている。ダンスの曲にもタンゴは欠かせない。あまりタンゴばかりではと思って、こんどこそタンゴなしで曲構成を、と作り始めても、結局どこかにタンゴが入ってくる。
タンゴにはいろんな相反する思いが入り混じっている。聖と俗、明るさと闇、ここではない何処か(それは故郷なのだろう)への思いと今ここに生きることへの執着ともいえるほどの愛。聴いていると色彩が目まぐるしく変化していく。
ドライな性格なので何かを見聞きして涙が出ることはほとんどないけれど、タンゴは別だ。音のなかにある切実さや潔さや猥雑さが、生きてることの尊さを特別のものとしてでなく、ごく普通のものとして感じさせてくれるから。知らない国の知らない生活のなかから生まれた音楽なのに、じぶんの歌として浸透してくる。
で、やっぱり、という感じだけど、ピアソラが好きだ。こんなに歌っちゃっていいの?そして、こんなに泣かせちゃっていいの?というほどのメロディライン。いいのいいの泣かせちゃって!という感じのなかに洗練された美が光ったり、知的な感じがあって、はっとする。なのに、次の瞬間にはまた、いいのいいの歌ちゃって!とメロメロにさせられてしまう。あんまり直接来るので日常生活のBGMとしては聴かない。
電車の移動中にヘッドホンで集中して聴くことが多い。
ただ、1曲だけ日常も日常で、台所専用のピアソラがある。かなり古いライブの「リべロタンゴ」だ。カレーを作る時にだけ、かける。それはたまねぎをくたくたの飴色になるまで炒めていろんなスパイスを入れた手のこんだカレーで、2時間ぐらい鍋にはりついて作る。その間「リべロタンゴ」をリピートしてかけておく。家に誰もいない時じゃないと気兼ねしてしまうけど、かなり大きめの音量で聴き続ける。そして、炒め続け、灰汁を取り続ける。台所中に「リべロタンゴ」とカレーの匂いが充満する。その空気を吸っていると、そうだ、わたしはカレーを食べるためというより、この空間に身を置くために作っているんだという気がしてくる。「リべロタンゴ」のリズムとメロディーはたまねぎを炒めるのに実に合う。特にそのライブのアレンジは、冒頭パーカッションが小刻みに派手に入っているのでよけいにいい。油がジリジリいうなか、木べらで鍋肌からたまねぎを遊ばせるように炒める感じをより高めてくれる。「リべロタンゴ」を聴き続け、鍋に蓋をして煮込みはじめる頃には、なんだか気持ちがイキイキしている。無心に炒めつづけたせいなのか、スパイスの香りのせいなのか、「リべロタンゴ」のせいなのか知らない。カレーの味も「リべロタンゴ」あり、の方がおいしいような気がする。(2002,12,3)
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