夏はレギュラーの仕事が休みになる。ここ数年、その休みを利用して個展をしたり公演をしたりで、実質的には夏休みはなく、結果、どこにもいかず夏らしいこともせずじまいだ。
特に今年は体調があまり良くなかったこともあって、私の場合、調子が悪い=体が冷えている、ということなので、ビールも飲まないし、アイスも、すいかも、冷中華も食べなかった。
いわゆる夏らしいことと無縁な夏。
まあ、淡々と暮らしていたらこんなものかもしれないなあ、そう思いながら道を歩いていたら、突然「夏らしいこと」が降ってきた。 夜、稽古場からの帰り道に、家の近くの住宅街で。
文字どおり目の前に降ってきたの、カブト虫が。
すこし風があったので木の枝から振り落とされたのか、寝ぼけて落っこちたのか。
特に虫好きではないけれど、相手がカブト虫となるとラッキーな気分になるから不思議だ。
そしてさらにラッキー感が増すのは、私が猫を飼っているからだ。
彼(猫です)は毎晩網戸に寄ってくるカナブンにものすごい興味を示し、いかにもつかまえてほしそうに「キュ〜」(鳴き声)と私の顔を見るので、そのたびにそっと網戸の外側に出てカナブンを捕まえてやる。
部屋の中で飛び回るカナブンを猫は目を輝かせて追い掛ける。猫を溺愛する私も嬉しくなる。
虫にはたいへん気の毒だが、家の中で飼っている負い目もあって猫優先だ。
最初はカナブンを素手で捕まえるのがかなり恐かったけれど、いまでは全然平気になった。
というわけで、目の前に降ってきたカブト虫を見た時、まっ先に猫がどんなに喜ぶだろうと思い、猫の「友だち」として、ぜひつれて帰らねばと心に決めた。
カブト虫に触るのは小学校2年生の時以来だ。
あの時も、カブト虫は向こうからやってきた。
台風の翌朝、家の玄関の前にカブト虫がいたのだ。風で飛ばされてきたのだろう。
当時も特に虫好きではなかったけれど、なにかすごくラッキーな気がして、名前をつけたりしてずいぶん可愛がった記憶がある。
いくらカナブンで練習済みでも、カブト虫は格が違う、そう思ってどきどきしながら数十年ぶりに指先でつまんでみた。
手にしてみると単なる虫のイメージの枠を超えたなにかが感じられた。
カブト虫が商業的な取り引きの対象になるのも納得出来る、なにか強い魅力。
そして 思ったよりずっと力が強く、あと少しで家につくのに逃げられてしまいそうなほどだ。仕方がないから手提げかばんのはしっこに留まらせて、なるべく揺らさないようにして家に帰った。
いなくなったら、いなくなったでいいや。でも、家までついてきたらうちの猫と遊んでやってね。
手で持つよりもそのほうが不快感が少なかったらしく、あっさりとおとなしくブローチのようにカブ子は家までついてきた。家の中に放してやると、案の定猫はものすごい興味と執着をみせてカブ子に付きまとった。けれどもカブ子がカナブンほどには動かず、むしろじっとしている時間の方が長いので、猫は顔を洗ったりそばで眠そうにしたり興味がみるみる半減していった。それでも、しばらくしてカブ子が少しでも動くと、また目を光らせて手を出す。一晩そんな状態にしておいたら、心無しかカブ子の顔色(?)が青ざめてきたようだった。にわかにカブ子がものすごく気の毒になってきて、あわてて虫カゴと葉っぱと土が混ざったような虫カゴの中に敷くものと、昆虫用のゼリー(樹液で出来ている昆虫のエサ)を買いに走った。出来るだけ快適な状態でカブ子を猫から隔離してやらなくては!そう、気が付くと名前もいつの間にか決まっていた。メスだから、カブ子。
今では毎朝カブ子に水とゼリーをやりながら、不器用に動く姿や、昆虫ゼリーを毎日完食する食欲に惚れ惚れしている。なんて可愛いんだろう!カブ子にとっては大変な災難だということはわかっているけれど、どうしても手放す気になれない。ごめんね、カブ子。カブ子、大好き。
そういえば、数十年前の第一回カブト虫経験の時もたしかこれと同じ気持ちを味わっていた。
あまりにも素朴な出来事に直面すると、人間は原形に戻ってしまうものなのかしら。
「カブト虫を飼っているの、うふふ」 と意味なく人に自慢したくなるのもあの頃と変わらない。
当時と違って相手が羨ましがってくれることはまれだけど。
これが、この夏唯一のそして最高に夏らしくてラッキーでハッピーな出来事だった(現在進行中)。