Music
 
新しい音楽に出会うと、心の中に今までには無かった場所が出現する。音もなく、すーっと。無かったところに空間が生まれる。
 通り過ぎていく音楽ではない。
 ちゃんと出会った音楽。
 それは、子どもの頃から大好きで、今では別の日常を暮らしているから会うことはほとんどないけど、時々思い出したり、手紙を書いたりする友達と同じ存在。きっと10年後も大切にしているにちがいないと思えるもの。
 その曲が「ある」ことが幸せ。そういうメロディーが、そういう音の世界が存在しているということ自体が、人間がこの地上に生きていることを肯定する理由であるような音楽。
 いつも聴くわけじゃない。聴いていない時も忘れている時も、その音によってその「場所」が出現したという記憶が体の中にあるだけで、心が何度でもまっすぐに立ってほほえむことができるような、そういう気持ちにつながっている音楽。

 久しぶりに出会った。新しい「場所」ができた。
 ノルウェーのスコラ・カントゥールムという合唱団のうたう「Immortal Bach」。KNUT NYSTEDT という現代ノルウェーの作曲家の作品だ。今年の冬に来日した彼等のコンサートを聴いて、ものすごく素朴で日常に根ざした演奏に感動して思わずCDを買った。
 ライヴで彼らの姿を見ながらの時とくらべてしまうと、彼らの存在のしかたがソフィスケイテッドされ平均化したものでなかっただけに、音だけがそこで標本されたような、体から切り離された声の痛々しさみたいなものを感じずにはいられないけれど、CDとしては本当に素晴らしいものだと思う。人間の声がこんなにもかすかに重なりあって少しずつ波動を変え、空間の色を塗りかえていくなんて。
 宗教的な感動に直結する荘厳さをそなえた合唱は多いけど、スコラ・カントゥールムにはごはんを食べ仕事に行き、恋人と笑ったり泣いたり、そういうごくふつうに生きている感じのなかで、それでも消し難くうつくしい光を人間は放つものだと確信させてくれる。

 いつか彼らの「Immortal Bach」で踊ってみたい。というか、椅子にすわって聴いているだけでもあの「場所」の扉が開いて身体の中に新鮮な空気が流れてくる。動かずにじっとしていてもこの実感は踊りそのものだ。わたしが踊りたいのはこんな踊りだ。こんな感覚を目にみえるものにしたいと思う。